堕胎

もとは、ここ。
『煩悩是道場』「レイプされて出来た子供は堕胎して良いか」
http://d.hatena.ne.jp/ululun/20060620/shakai060620

堕胎の話。

>「良いか悪いか」を決めなきゃならないんだったら敢えて「悪い」と言っておく。
ですって。

ケースバイケース。そもそも決めるから悪い。

発言しなくては議論にならない。
だが、結論を断定することから始まると反感を買いやすかろう。
単なる「それって倒置法」、とかいう方法論の問題を言っているのではない。

>「良いか悪いか」を決めなきゃならないんだったら敢えて「悪い」と言っておく。

「私は」『悪い』「と思う」
だったら読み手が受ける印象は大きく変わったのではないだろうか。

自己の主張を強調するために、あえて極端な書き方をする場合がある。
だが、これは、少なからず当事者のいる問題だ。
”レイプのため妊娠”という極端な状況ではなくとも、中には無責任な堕胎があったとしても、多くは、考え、悩み、苦しんだ末の結論であり、その後も悩み続け、後悔し続けるものなのではないのか。経験は無いが。

堕胎が殺人だというならば、早産・流産は過失致死なのか。
いや、これは、蛇足。

産まれてくる子供(産まれてくるはずだった子供)には罪が無い。
それに異論がある人は少ないだろう。
(だが、それも、強姦魔の遺伝子を持つことが罪だと思う人がいるかも知れない以上、『それに異論がある人はいないだろう』なんていう決め付けはできない。ネットでブログを使って個人が自由に発言しているのを見ると、本当にいろいろな考え方を持った人がいることに気づくから。どう思うかは当事者やその家族にしか分からない感情があるだろう。)

だが、母体に罪は無いというのは確実だろう。
母体、じゃないか。入れ物じゃないから。妊娠してしまった女性。
体でなく、意思を持つ個としての、妊娠させられてしまった女性。これに罪は無かろう。
(これに対して、強姦された方にも隙があったとか言い出す人は相手にしません。いるかもしれないし、いるんだろうけれども。)
レイプによる妊娠だろうが何だろうが、いかなる場合も堕胎を許さない、と言う国は実際に存在する。宗教の問題もある。
しかし、少なくとも現代日本でいかなる場合もそれを認めないというのであれば、あまりにも、母親女性の人権、幸せに生きる権利が軽視されているのではないか。

悪阻での苦しみもあれば、体型も変わっていく違和感もある。出産の痛みも当然ある。
普通にしていても、個人差こそあれ様々な苦労、苦痛を伴って出産する。
無償の愛を注ぐ対象である我が子であるからこそ耐えられるのではないか。
男性に生まれたからには想像でしかないが。

また代理母となり出産する人もいるので一概には言えないが。
まぁ、それも代理母のつもりがトツキトオカ文字通り一心同体になり出産したら、その子供に愛情が湧き、そのまま裁判に、なんて事例も多々あるようだが。
だが、それを「だからレイプにより生まれた子供でも産んでしまえば、胎を痛めた我が子として愛せるだろう」という理由にしようということもなかろう。

戦時下に敵兵に強姦され出産し、その子を育てている、という幸福とは言えない事例もある。その人を不幸と言い切ってしまうのは驕りにもなろうし、本人しかその感情は知りえないが、少なくとも、もっと他の、もっと別な幸せはあっただろうし、少なくとも、その状況は本人の望んだ形ではなかっただろう。

話が逸れたが、女性の負担は出産という、それ自体だけではない。

レイプ犯とそのまま結婚しちゃいました、なんていう、あまりにもできの悪いエロマンガみたいなことは現実的でないとして、子供を産んだ後、その女性は寡婦として生きていくのか。
前夫との間の連れ子がいるというだけでも再婚への障害となりえるのに(仮にも、子供を「障害」というのは語弊があるが。)あるいは、親権が前夫にあり、直接自分が連れ子と接することが無かったとしても、出産経験のある女性だというだけで躊躇する男もいるだろう。
レイプされた時点で付き合っている男性がいたとして、あるいは既婚女性だったとして、赤の他人、強姦魔の子供をすら育てていこうという覚悟のできる男がどれだけいるか。
残念ながら、それどころか傷ついた女性の許から去っていく男がいることも現実だろう。

残念なことばかりだが、残念ながら、レイプであろうが無かろうが、女手一つで子供を育てるというのは、想像するだけでも大変だ。
母子家庭に対しての福祉が父子家庭に対して厚いのは、単なる「逆差別」ではなく、それだけ子供、とくに乳幼児を持つ女性の職場復帰、あるいは求職活動が困難であることを意味している。(逆に言うと、父親は望む、望まないに関わらず育児に時間を割くのが困難な風潮があるわけだが。)
単純に考えても、どれだけ順調な出産だったとしても、陣痛が始まって通常勤務に就くことはできない。出産後数週間も少なくとも働けない。
女性の出産に対して理解と、余裕とがある会社ならば、当然の権利としての産休・育休を取ることができるが、企業としては、その間に空いたポジションを埋める人員を確保する必要がある。代わりを採用したとなると、もう、会社に戻る場所はなくなる。
被害にあったときに定収入があったとしても、それを維持することすら難しい。
10人いる部署を9人で回すとか、それをみこして新人を採用しているとかができる会社ならばまだしも、中小企業では、現実問題、難しい。
自分が経営者側でなく、労働者の側なので、どちらかというと労働者に有利になる権利はどんどん主張したいところだが、バカ正直に認められた権利を主張すると、会社自体が厳しいというのも理解できる。同じ理由で、子供の事情で欠勤・早退が見込まれる者(見込まれるだけで)を採用するのに躊躇するのも理解できる。もちろん、だからそれを仕方の無いことだと諦めればいいなんていう気はないが、権利があるからといって、残業しただけ残業代を申請、有給も権利だからあるだけ休む、とやっていたら、会社自体が無くなってしまう、という中小企業なんて、それこそ何万社とあるだろう。

(すみません。ここで、「あいのり」見たり、電話したりしてました。「あいのり」は、バラエティー番組ね。世界の景色が見れておもしれー、って見ています。バラエティと銘打っているだけあってドキュメンタリーじゃないよ、と自ら言っているわけで、どうこう言う気は無いです。温度差があります。)

それで無くとも、子供を育て上げるにはお金がかかる。
検査も通常分娩も実費請求だし、デジタルビデオカメラで我が子の成長を記録、なんていう贅沢品にかかる出費を省いても、乳母車(若い人はベビーカーと言う)に、ベビーベッドに、って感じで数万円単位の出費となるアイテムがいろいろと出てくる。

で、えーっと、なんだっけ。レイプされた女性と、その時の子供をその全てをひっくるめて共に生きていこうという男性が傍にいればまだいいが、そうで無い場合、タダでさえ暴行被害にあってダメージを受けているのに、その後もその事件を常に思い出させられる対象である我が子と共に生きていくという精神的にな苦痛だけでなく、金銭的にも、厳しいのでは、ってことですよ。

あと、社会的にも厳しいものがあるのではないかということですよ。
社会的にも、っていうのは、レイプの被害者は、被害者なのに周りの目を気にして生きていかねばならないのですよ、と。
生徒諸君!」の初音ちゃんの家族は最初、娘がレイプされたことを認めることになるので警察に届けようとしなかった(娘が被害にあったことを認めようとしなかった)のですよ、と、いうことですよ。もう20年前のマンガですが。

自分が陵辱され、身籠った子供とともに、最低限の保障範囲での生活をしていくというのも酷な話だろう。
もっとも、どれもがどれも、選んだように最悪のパターンを組み合わせた結果にばかりならないかもしれない。支えとなってくれる人が周りにもいることだろう。きっと。
でも、
主張を刺激的に印象付けるために、とか、「どこからどこまでの堕胎が許されて、どこからが許されないという線引きは無い」という意味でレイプによって妊娠した場合でさえも、という話になったのかもしれないですが、だけど、こう、私ごときがざっと考えただけでも、「生きていく、育てていく、生活していくのって大変なんじゃないの?」と思う中で、「子供(胎児)には罪は無い(だから、産め)」「(胎児を殺すのは、命を大切にしないこと。命を大切にしないなら)今すぐ俺の前で(自分自身が)絶命して証明しろ」とは、あまりにも乱暴なんじゃないかしら、と思った次第です。
で、やっぱり、刺激的な内容であったためか、これだけ書いちゃったわけですな。