『エクソシスト』

今日、テレビでやってたので、昔書いたのを…。

エクソシスト ディレクターズカット版』
http://tinyurl.com/q39wu

非常に興味深く観ることができた。
素直に、おもしろい、という感想を持った。
数年前、ホラー映画の古典的名作がディレクターズカット版として再度ロードショーされるということで話題となったものである。どうしてまた、今になってこの作品を観たのかと言うと、レンタル落ちのビデオが近鉄名古屋駅売店で販売されていたものを手にとったのである。

もちろん、テレビのようにコマーシャルによる無粋な中断を受けることはないが、昨今の映画館の高度な音響設備による空間の中でこの映画を体験したらより一層この作品により心に刻まれる印象が鮮明なものになっていたのではないかと残念である。

ホラー映画と分類される作品であるが、面白いという感情を持ったのはむしろ推理小説のような作品としてである。
推理小説というと、殺人事件の犯人あるいはトリック探しと相場が決まっているが、この作品では、「結局リーガンに取り付いた悪霊とはなんだったのか」という点である。
ちなみに字幕版のビデオを見たのだが、作中で「悪魔」と「悪霊」を別のものと定義しているのにもかかわらず、訳で混同している個所があった。俳優達の口から実際に英語でどのように発せられているか聞き取れない自分のヒアリング能力を無念に思うばかりである。
あるいは、今後、2度、3度と繰り返し作品を観ることにより、訳者が効果を期待して「悪魔」と「悪霊」を使い分けていたという意図を汲み取ることになるのかもしれない。

では、その稚拙な推理だが、作品を通して観るうちに何度も方向性を変えたが概ね3つに分かれた。
最初の一つは、悪魔パズズによるもの。
もう一つは、「パラノイア神父」によるもの。
そして、「前思春期の典型的症状」である。

第1の案、パズスを思いついた理由に関して。
メリン神父がイラク北部発掘を行っているシーンが物語最初の10分という時間が割かれていることにより、嫌がおうにも印象付けられるのは、この作品をご覧になった方には納得いただけるとおもう。
「することがあるので帰国する」というメリンは、夕焼けの中でパズスの像と向かい合い、そしてそのまま、夕焼けの中に溶け込むかのように立ち尽くすのである。
そして、映像はクリスやリーガンが生活するジョージタウンへと一変する。
今後この家で起こる惨劇がパズスによるものであると視聴者に刷り込むのには十分な演出ではないか。
そして、もう一点ある。オリジナル版にはなく、ディレクターズカット版で加えられた要素(人によっては蛇足と一蹴する要素である)にサブリミナルショットがある。
基本的には悪魔の白い顔や、悪鬼のごときリーガンの顔が一瞬映し出される、という使われ方をしている。画面全体に一瞬映し出され網膜に焼き付けるものと、換気扇(とおもう)に悪魔の顔が浮き出る、といった使われ方がある。その中に、バーグが惨殺される前に、リーガンの部屋の扉にパズスの像が浮かび上がる、というものがある。
これは、この時点には、リーガンの体がパズズの管理下に置かれつつあるということを表しているのではなかろうか。
「この時点」という表現に関しては後に述べようとおもう。

ところで、なぜパズズなのか、なぜイラクでなければならなかったのか、とい疑問に関しては以下のような記述を見た。
イラクは聖書時代のアッシリアの事であり、心霊術や宗教の発祥の地であるといわれており、悪魔と神とは一身だとするゾロアスター教が盛んなため悪魔崇拝も行われていたという。
キリスト教徒であればイラクの悪霊ということで、禍禍しいものであるとの印象を自然と受けるのではないか、とのことであった。

次に第2の案。「パラノイア神父」に関してである。
これは、キンダーマンが発した台詞である。
教会で聖母像が汚されていたという事件と、バーグの遺体の首が半回転していたという悪魔的な殺人事件を同一犯の犯行とした上で、その動機を、教会に敵意を持つ者の無意識の衝動的反逆とみているのである。
作中に登場する神父達のうち、除霊を行うカラスとメリンをとりあえず対象者から省き、先ほどの聖母事件の教会の神父、除霊を行うものを協議したイエズス会の神父といった明らかな脇役を除くと、その対象者はダイアーしかいない。
実際、ダイアーは、パーティーに出席していたということより、以前よりクリスと親交があったと思われる上、カラスが母親の死に目に会えなかったことに対して悔恨の念を抱いていることも知っており、そして、ジョージタウンを去り行くクリス、リーガン親子を見送るという重要な位置にいる人物である。
さらには、カラスの最期を看取った人物なのである。つまりは、「カラスの死に際に都合よくたまたま近くを通りかかった」人物なのである。
物語の結末では、「仕事にもどらなきゃ」と言ったキンダーマンが、その直後にダイアーを映画に誘い、断られたら次は食事に誘い、そのままスタッフロールへと移る。呪術的な犯行に警察がどこまで介入できるのかは分からないが、仕事に戻ったキンダーマンは捜査の一環としてダイアーから事情を聞き出そうとしているのではないかと考えられるのではないか。
キンダーマンはクリス邸内で起こっている出来事の詳細は知る由もないだろうが。

だが、視聴者は知っている。
リーガンは水道水を聖水だと騙される。つまりは、実際に聖水により体が焼かれるのではなく、聖水だと思い込むことにより影響を受ける状態である。まだ「悪魔」に乗り移られていない「リーガン」が「自分の中にカラスの母親もいる」と言っている。
クリスがリーガンにカラスの母親の事を知らせていないと明言しているからには、この事件に大きく関与している何者かがリーガンに直接、あるいは悪魔的な力でカラスの母の死とそれに対するカラスの感情を吹き込んでいるということとなる。
あるいは、カラスの悔恨の念がリーガンという物体を通して具象化されているのでは、とも考えられるが、なにしろ、そのリーガンはカラスの母親の旧姓を答えられないのである。
それは、その段階のリーガンが決して悪魔化しているわけではなく、また、カラスがリーガンを通して自分の負の幻想を見ているわけでもないということを表していることに他ならない。

3点目が「前思春期の典型的症状」である。
これは、リーガンに起こる怪現象の原因の医者達の見解である。
この作品には父性に関する表現と性的な表現が多数表れる。

父親という存在はこの作品で非常に大きな要素となっている。

最初に現れる父性は牡馬である。
リーガンは、撮影から戻ったクリスに不在の間のことを問われ、シャロンとのピクニック中に、男の人が葦毛の馬に乗ってやってきたと言う。クリスに「牡?牝?」と問われ「多分牡よ、葦毛の」と答える。特に重要な質問であるようにも感じられないのであるが、あえてなぜここで馬の雌雄を問うのか、なぜ、さしたる根拠もないのに牡と答えるのか、という問題がある。
また、ここで直接関係はないが、馬に乗り楽しかったから自分も馬を飼いたいとせがむリーガンにクリスは、ここでは飼えないからロスに帰ってからと答える。
このエピソードにより、以下のことが言えるだろう。
リーガンが「牡馬」に接したことが殊の他楽しかった点。つまりは、牡馬を父性の象徴として置き換えることができるなら、リーガンが父親とのふれあいを強く欲している点。
欲しいと言えば馬でさえ手に入れられるという経済力、見た目の豊かさ。現金と引き換えに入手可能なものであればたやすく自らの所有下におけるという点。ひいては、それらを駆使してでも父性とのふれあいを手に入れたいという点。
ロスに帰ることが馬を飼うことの前提条件であるという点。はやくここから去りたいという思いを無意識下にでも抱かせる点。いみじくもリーガンは物語最後にワシントンから立ち去ることに成功する。

次にあらわれる父性は、ハウディー船長である。
ウィジャ板(西洋式こっくりさん)でリーガンが呼び出す者の名前が「ハウディー船長」というのであるが、リーガンはそれを、「わたしの質問に答えてくれる人」という。
父親不在のリーガンにとって、自分を導いてくれる存在は、人生航海の船長は霊的な存在の中に見出していたのである。
ここで、もう一点気づくのは、リーガンの質問に答えてくれる存在は「ハウディ船長」なのである。
父親不在は明らかであるとして、クリスすら、リーガンの質問に常時応えてくれる存在ではなかったわけである。
本来二人で行うウィジャ板を独りで行い、また、クリスが居るとハウディ船長は現れない。決してリーガンはクリスに不満を抱いているという意識があるわけではなかろうが、多くのことを相談したい12歳という年齢であるにもかかわらず、助けを求めたいときには独りであったわけである。
意識は自我の中に向かい、母親さえも無意識に拒絶するようになりはじめていたのではなかろうか。

そして、バーグである。
リーガンはクリスにバーグのことを好きなのではないかと尋ねる。そういう噂を耳にしたと。
クリスは「ピザも好きだが結婚しない」と言う。
「パパと違う?」リーガンが続ける。
クリスは答える「今でもパパを愛しているわ。これからも。」
…リーガンにとって、別居していても、父親は唯一無二であり、馬やウィジャ板で代替できても、代わりとなる人物の存在は認められないのである。

性的な表現というのは、先日冗談で書いた12歳少女の放尿シーンとか、12歳少女の入浴シーンとか、12歳少女のパンチラシーンとか、じゃなくって(パンチラシーンはね、リーガンがベットの上で弾んでるところをコマ送りすると見えるのだ。って、コマ送りするなってな。本編開始後53分で見れます。って、ここにきて酒もまわってきたようで。「ピングレ」おいしいね。)リーガンの「かなり語彙が豊富な猥褻な発言」である。
「指をどけな、わたしのマンコから」
「どけ、俺の牝ブタだ。ファックミー」
「雌豚め、やるんだ。ファックジーザス、ファックユー。ナメろナメろ」
性的な意識も異性への意識、父親の存在につながるのではないか。

なにより、リーガンに異常が現れだすのは、リーガンの誕生日に電話の一本もよこさない父親に対してクリスがまくしたてている(実際は交換のオペレーターにまくしたてている)のを聞き耳たてているシーンの後からである。
それまで、一見して普通の家庭の風景としてクリス/リーガン家が描かれていたが、ここで、初めて不穏な音楽が流れ出すのである。
そして、その夜リーガンが「ベッドが揺れて眠れない」と訴えるのである…

といったとこで、本格的にめんどくさくなったので、つづきはまたこんど。
忘れないように、いまんとこの疑問点を。。。


・メリンが発掘現場で興味を持った「時代が違う」というメダルは何か?
(また、それは、リーガンがカラスの首から引きちぎったものと同一か?)
(クリスがダイアーに渡そうとして返されたものと同一か?)

・バーグ監督、クリス出演作品の撮影現場にカラスがいるのはなぜか。



…2年ぶりに読み返してみたらわけのわかんないこといってますな。
まぁ、今回は「人間の証明」を見ているわけなんですが。